笑顔のヒント

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古事記から学ぶ「日本の伝統的ストレスマネジメント」②

time 2016/04/19

古事記から学ぶ「日本の伝統的ストレスマネジメント」②

今日からあなたの「洗う」が変わる!!

 

今日のブログは少し長いです。(笑)

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

昨日のブログで

心の穢れは目で見ることも、手で洗うこともできません。

だから目で見て触れることができる物を洗うことで、心の穢れを洗うのです。

では「心の穢れ」とはどういう状況のことだと思いますか?

と書きました。

さてさていったい「心の穢れ」とは?

それを説明する為に、先日書いた古事記を思い出してください。

「イザナギノミコトが黄泉の国から帰ってきた時に、

川に入って禊祓(みそぎはらい)をし、身と心の穢れを洗い流しました。

そして祓いに祓った結果、その身体からアマテラスノミコト、ツクヨミノミコト、スサノノヲノミコトが

生まれました。」

さて、問題は、なぜイザナギノミコトの身と心が穢れてしまったのかです。

話はイザナギノミコトが黄泉の国い行ったところまでさかのぼります・・・。

妻であるイザナミノミコトが火の神を御生みになったことが原因で黄泉の国へお隠れになりました。

しかし、イザナギノミコトはイザナミノミコトに逢いたくて黄泉の国まで連れ戻しにゆきます。

その心に打たれてイザナミノミコトは元の世界に帰るために、黄泉の国の神様に相談にゆきます。

その時に「我をな視たなひそ。(決して見ないでください)」とイザナギノミコトに伝えます。

しかし、見るなと言われれば見てしまうのは神様でも私たちでも同じなのでしょう。

イザナギノミコトは約束を破って見てしまいます。

そこには蛆虫がたかっていて上に雷神が乗っているイザナミノミコトの姿がありました。

さあ、そんな姿を見られたイザナミノミコトは「よくも恥をかかせてくれたな!」と怒って集団で追いかけてきます。

イザナミノミコトは追いかけてくる黄泉の軍団を追い払いながら全力で黄泉の国から帰ってきたのでした。

(余談ですが、死んだ人が生き返ることを「甦る」というのは、ここからきているそうです。)

さて、古事記の話が長くなりましたが、

イザナミノミコトの「心の穢れ」が何か解りましたか?

禁じれたことを破ってしまったことですよね。

「決して見ないでください。」と約束したのに見てしまったこと。

我欲のため守らなければいけないことをまもらなかった。

言葉を変えれば「道を踏み外してしまった」ということです。

イザナギノミコトは神様ですよ。

それなのに清く正しい心を失くしてしまったことです。

清らかなこころを失くした結果、黄泉の軍団に追いかけられたのです。

神様でさえ我欲に負けて道を踏み外してしまうと酷い目にあうのですね。

だからイザナギノミコトは黄泉の国から帰ってきて川の清流で禊祓(みそぎはらい)をし、身と心の穢れを洗い流したのです。

我欲のために道を踏み外してしまったことを大いに反省していることを「洗う」という行為に象徴しているのです。

禊祓いをしながら、元の神様の心に還ってゆく過程でその身体からたくさんの神様が生まれます。

では、古事記は何を伝えようとしているのでしょうか?

これは神性は本来自分の中にあり、我欲によって閉ざされている。

だから常に我欲を祓う様にしなさい。

我欲がなくなるとあなたの内側から神性が現れるということです。

※このことをもっと詳しく知り方は小野善一郎氏の「日本を元気にする古事記のこころ」をお読みください。

 

さて…私たちが洗わなければならない「心の穢れ」とはなんでしょう?

やっと今日のテーマに戻ってこれました(笑)

それは「我欲」ではないでしょうか。

我欲に囚われてしまうと自分中心の考え方になりがちです。

実をいうと私も以前は「あの人のせいで仕事が嫌になった。」「何で私がこんな目にあわなきゃいけないの?」と

自分がうまくいかないことは全て他責にしていました。

他責にしている間は、何度も嫌な感情が頭の中に繰り返し現れてきたものです。

でも今は腹が立った時とか、ガツンと言われた時にはサッと手を洗いにゆき「心の穢れを洗う」様にしています。

「自分がこうなったのは、自分の中に道を踏み外したものはなかったか?」を振り返るのです。

するとね、大抵ひとつやふたつは自分が悪い部分も出てくるものですね。(笑)

そして自分の心の穢れが清らかになってくると現れてくるんです!

そうです。神性です!

それは「「相手への感謝」です。

我欲に囚われていると自分が得ることばかり意識がゆき、「相手への感謝」が見えなくなるんですよね。

ところが我欲を失くしてゆき感謝の氣持ちがでてくると、嫌な感情を思い出さなくなってきたんです。

それどころか、逆に心は晴れ晴れしいのです。

だって、心の中に神様が現れたわけですからね(笑)

 

人間は無意識で我欲に囚われてしまうことが多いです。

だから日常の「洗う」という行為を通して、こまめに「心の穢れ」を洗い流し、

自分の心を清らかに保ち、感謝の心を感じる習慣付けが大切なのです。

これが古事記が伝える「和」を大切にする日本民族のストレスを溜めない智慧なのです。

 

神社に参拝するときは最初に手を清めますよね。

それと同じことを日常でするわけです。

だって神様は自分の中にいるわけですからね!

 

笑うメンタルヘルストレナー 杉本あきほ

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