2016/12/17
数年前に知り合いの独身女性の結婚観を尋ねた時に返ってきた返事は
「死ぬ時に旦那に看取られて死にたい。」でした。
そのときは、なんて夢の無い話だろうと感じたけれど、
今考えるととても奥の深い言葉だったんだと反省しています。
自分の死の瞬間に愛する人に傍にいてもらうためには、
結婚してから死ぬまでの間のコミュニケーションがうまくいっていることが大前提。
勿論、長い人生なのだからいろんな問題がおきてきます。
でもここで「幸せな家庭を築きたい。」等の結婚観だけでは
とても人生の荒波を乗り越えることはできない様に思えます。
なぜなら「幸せな家庭を築く」ということが目標であれば、
夫婦関係がぎくしゃくしているときは幸せではないということになります。
これって、毎月売上目標を管理されている会社みたいではないですか?
あくまでも「幸せな家庭を築く」のは人生の過程です。
繰り返しますが、長い人生なのだからいろんな問題がおきてきます。
嬉しいこと、有り難いこと、悲しいこと、苦しいこと等、何が起こるか解りません。
「愛する人に看取られて死にたい。」というのは、
そういうことを全て受け入れる覚悟での言葉だったのです。
自分の死というのを見つめることで、
どういう生き方をすればいいにかが見えてくるのです。
私は、やはり笑って「ありがとう」と言って死にたい。
そのためには、いつ死がきてもいいように、
出会った人とは笑顔で接してゆこうと思います。
「こんなことなら、素直に謝っておけば良かった。」ということだけは避けたいですね。
『あなたはどんな死に方をしたいですか?
そのためには、今からどんな生き方をしますか?』
11月16日(月)
現役の看取り看護士・後閑愛実(ごかん めぐみ)さんと、「医療と笑い」について語ります。
インターネットTV自由が丘FM
「愛実の今夜も愛さNight!」
第1、第3月曜日
20:30~21:30生配信